『写真家ユージン・スミスと濱谷浩』
1971年、大阪御堂筋のある会館でユージン・スミスと濱谷浩氏の2人の講演会があった。筆者はそれを聴いた。
当時濱谷浩氏は有名な”マグナム・フォト”の寄稿写真家であった。彼は60年安保で東大の女子学生の樺美智子さんの、悲惨な倒れた姿を撮って有名であった。それでスミスと濱谷の講演会の企画が起こったのだろう。
実はスミスは濱谷とは大分違う方向をめざしていて、どちらかというと土門拳に近い写真家であったと思う。
スミスと濱谷:講演では話しは噛み合わなかった。ちょうどそのころスミスは水俣を本格的に撮ろうとしてしていた時期。濱谷はこれから何を撮ろうかと模索中であったから、撮るべきは水俣と意気込んでいるスミスと模索中の濱谷とは噛み合うはずがなかった。
筆者の記憶では、濱谷は何を撮っていいか模索中という意を講演で話した。まことに正直な人である。これに対してスミスは撮る対象は幾らでもあるという。要するにカメラとフィルムがあればOKと濱谷を”からかい”気味だった。
その後、土門剣に”近づく”スミスと独自な一匹狼的な濱谷とはますます離れて行った。筆者はその後も仕事で濱谷とつき合う機会がかなりあって、彼のスミス批判もすこし聞きかじった。美しいものを美しく撮って、リアリズムは成立するというのが濱谷、水俣の有機水銀で苦しむ人々を撮って問題提示するスミス、好対照である。
”雪国”や”裏日本”を撮って世界に誇るべき名作を残した濱谷、(日本国内よりはむしろ)欧米から絶賛された濱谷。渋沢民俗学の影響を受けた濱谷の写真は、内容はもちろん良いが、構図や光が美しく、インパクトがある。欧米で理解されやすい作品群である。彼の作品は川崎市民ミュージアムにコレクションされている。
黒く焼き込んだスミスの水俣。若い妻、アイリーン・美緒子・スミスとの共作http://www.blogger.com/img/blank.gif、水俣は、リバティおおさか(大阪人権博物館)にコレクションされている。
余談。
熊本県や国は”水俣病”患者を迫害する側だったのを見ていたから、公共団体に不信感をもっていて、当時大阪府が主導する、リバティおおさか(大阪人権博物館)のコレクションの意思に最初は不同意だったアイリーン 筆者には、公共団体のコレクションに同意するよう、アイリーンを説得するのにかなり苦労した想い出がある。
( 敬称略ご容赦下さい)。
(以下の既掲載の転載)
http://blog.goo.ne.jp/capaki/preview?eid=de41608d4893aff239303d00db2b0967&t=1313129929778
2008-04-28 05:16:25
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