ここでは日本の写真家に触れたい。
ある意味でキャパのような人間的魅力にあふれた濱谷浩氏(1915年3月28日 - 1999年3月6日)は『雪国』や『裏日本』ほか良い写真集を遺した世界的な写真家である。
濱谷浩氏は酒をこよなく愛され(日本酒やウィスキーなど)、晩年は筆者が知っている限り、泥酔するほど飲まれることもすくなくなかった。
お酒ははしご酒でもあり、徹底的に飲むタイプで、つき合うほうは大変であった。
(80年代)飲んでからディスコで踊られるのが常で踊ると酔いは一層深まる。
京都で飲んだときは(ディスコでおどったりもして)深夜になり、筆者はタクシーで帰ったのだが、酔っているので運転手にうまく自宅の位置を説明できなくて家になかなか着かないという失敗をした。
大阪のロイヤルホテルで車で行って、先生のお勧めで結構アルコールの度数がきついカクテルであるビツィンザシーツをダブルで二杯飲んだ。酔いがまわってきて車で夜明けまで過ごしてから帰宅したこともあった。それに近い経験をした人は筆者以外にも居ると思う。
大磯近辺では居宅のある駅でも酔っ払って家の番地がはっきり言えない客なら濱谷という写真家だという伝説すらあった。現在ならナビ設定番号などがあり、比較的対応が楽であるが当時は運転手も困ったことだろう。
晩年は大分お酒に弱くなっておられたのだと思う。
大阪芸大で、故岩宮武二写真学科長が濱谷浩氏に講演を依頼されたことがあった。講演では写真家は生涯に5点、後世にのこる写真を撮る事が大事だという内容の話をされて、後はディスコの割引券を学生に配って踊ろうと誘われたそうで、これには岩宮武二氏もびっくりされた。アルコールを嗜まれない岩宮武二氏は『濱谷さんも昔は真面目だったんだが』と嘆かれていたのを思い出す。
写真家は生涯に5点、後世にのこる写真を撮れば良いというのは濱谷氏の真剣な主張で、世界的レベルで言っておられたのである。権威ある美術館が5点、コレクションしてくれれば良いということでなく、写真に携わるだれもが眼に焼く付くような作品5点というシビヤなもので、こうなるとなかなか達成するのが難しい。
勿論、岩宮武二氏も濱谷浩氏もそのレベル以上の写真家であった。
濱谷氏はタバコは両切りのピース、それも缶入りであった。いつもピース缶を一つもっていてよく吸っておられた。今、生きておられたら辛く思われるだろう嫌煙の風潮であるが、濱谷氏は結構長生きであった。もしタバコと酒をあれほど嗜まれなかったらきっともっと長生きされたと思われる。 筆者が缶入りピースを今も、たまに、嗜むのは濱谷氏の影響もある。
余談だが岩宮武二氏も大変なヘビースモーカーであっった。氏のスタジオの灰皿はいつも吸殻で一杯であった。そのためか69歳という若さで肺がんで亡くなられたのはとても残念である。
ヘビースモカーで長生きの人はかなり少ないと思われるが、濱谷浩氏はその例外の一人だろう。
濱谷氏はカメラは最初は大判であったようだが、中判カメラも活用され、次第にライカなど小型カメラを愛用さるようになったと思う。枕元にいつもカメラ(ライカ)を置いておられ、いざ何かあるとすぐ撮ることを考えておられた。
しばらく濱谷氏の助手をした写真家の斎藤忠徳氏も師を倣ってカメラ(ライカ)をいつも手元か手近に置いておられるのに感心したことがある。
沖縄で濱谷氏の助手をしたことがある伊ヶ崎光雄氏(関西の写真家*)は濱谷浩氏がラジオや新聞などでニュースチェックをこまめにやっておられたのが印象的だったと言っておられた。
報道写真家の集団であるマグナムのメンバーでもあった濱谷浩氏はニュースにいつも気を配っておられたのだろう。
附録:1.民族学者でもあった渋沢敬三氏の影響を受けられたという濱谷浩氏の傑作は平塚市美術館にもコレクションされていてネットである程度見られる。
附録2.濱谷氏の居宅も魅力的で、アンリ・カルチェ=ブレッソン、エルンスト・ハースほか有名な写真家が訪問してている自宅の内部の一部を紹介しているブログ(【料理研究家http://www.blogger.com/img/blank.gif】田沼敦子公式ブログ)をご覧いただきたい。
1. http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/collect/0612ha.htm
2. http://tanuma-atsuko.at.webry.info/200803/article_18.html
*伊ヶ崎光雄氏はプロレス関係の本を数冊出しておられて、人物を中心に報道関係で活躍しておられる。奈良市在住
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註:
当記事は過去他のブログに掲載した記事の転載・再録
2008年06月16日 03時50分00秒 | 経済・社会
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